36巻では男らしい只野くんが、我慢っ できなくなったらどうするんですか?
とかおっしゃってました。
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- 古見さん卒業式
- 答辞を断った古見さん
- 代わりの答辞は只野くん
- 答辞でラップはしない只野くん
ホントに只野くん、成長しましたねー。
古見さんはコミュ症です。じゃなくて只野くんの成長日記でも良かったんじゃ、と思うくらいの成長っぷり。
やはり環境は人を育てます✨️
まあ、確かに普通に答辞をしていて、ヤジが飛ぶ学校はないw
大丈夫です。
変でも
異端でも
はぐれてでも
浮いていても
…普通でも
僕たちは大丈夫。
只野くんの答辞には、色々あった高校生活が含まれています。
高校生活を乗り切ったこと、古見さんにふさわしくなるよう、日々努力したこと、みんなも頑張っていること、それらが総合して、この言葉になったのでしょう。
ホントに只野くん、成長しました・・・。
古見さんも、すっかり成長し、後輩を心配できるほどに。
普通ではない古見さんでしたが、普通、普通じゃない、は関係なく、生きていく勇気は育てていくことはできたようです。
ちなみに最後になぞなぞ出現ww
37巻に答えはあるそう。
買わないといけませんね(笑)
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只野くんの答辞を深く考えてみた
この言葉には、私たちが自分自身に対して持つべき深い信頼と受容が込められています。
以下に、私の熱い思いを語らせていただきます。
まず、**「変でも」**という言葉は、社会的な基準や枠からはみ出すことへの許容を意味します。
人はそれぞれ異なる経験、価値観、興味を持ち、それが私たちを豊かな存在にします。変わり者であることは、創造性や新しい視点をもたらす可能性を秘めています。
そのような個性を否定せず、むしろそれを強みとして受け入れる姿勢が重要です。
次に、**「異端でも」**は、主流から外れた思想や行動に対する理解を示しています。
歴史を振り返れば、多くの革新者や思想家が「異端」として扱われながらも、後世に大きな影響を与えてきました。
異端であることは、必ずしも悪ではありません。それどころか、新しい価値観や進歩を生む源泉となることが多いのです。
**「はぐれてでも」**という表現は、集団から離れたり、孤独を感じたりする状況への言及です。人間は社会的な生き物であり、コミュニティに所属することで安心感を得る一方で、時には自分自身と向き合う時間が必要です。
はぐれることは、自己理解や成長の機会であり、自己を見つめ直す勇気を与えてくれます。
**「浮いていても」**は、周囲に溶け込めない感覚や、違和感を持つことに対する許しです。浮いていると感じる瞬間は、人と違う視点を持つからこそ見える景色があることを示しています。それは、他者への共感や理解を深めるきっかけにもなります。
そして、**「普通でも」**は、普通であることへの肯定です。普通であることは、特別であることと同じく価値があります。
普通が基盤となって、他のすべての多様性が輝きます。普通であることで、時には安定や安心を社会にもたらす役割を果たすこともあります。
最後に、「僕たちは大丈夫」という結論は、これらのすべての状態が受け入れられ、肯定されるというメッセージです。
私たちは、自分が置かれている状況や持っている特性にかかわらず、価値があり、愛される存在です。
自分を信じ、他者を尊重し、より豊かな社会を築くことができるでしょう。
この言葉は、私たち一人ひとりが自分自身を肯定し、他人を尊重する心を持ち続けることの大切さを思い出させてくれます。
それは、自分が大丈夫であることを信じる力であり、他人もまた大丈夫であることを認める勇気です。
頑張ってきた、僕たちは大丈夫!!
感動しますね✨️
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